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モンゴルへの道は遠い・・・
北京から空路で向かうと眼下には極寒のゴビ沙漠が広がる放射冷却で冷え切った大地、煙がたち昇る











日本での天候との関係にも大いに影響している。
北アルプス、標高3000mを超える穂高に3週間ほど滞在したとき、毎日ラジオで
気象通報を聞き、天気図を描いた

モンゴル、さらに北のバイカル湖、チタなどに停滞している巨大な
シベリア高気圧。これが南下して日本全体を包んでくれないと快晴に
恵まれない。また下手に南下すると日本海に2つの低気圧を発生
させ厄介なことになる。よくある二つだま低気圧で擬似晴天など判断を
惑わせる・・・

河も凍りつく極寒の大地





















そんな高気圧のど真ん中にやって来たわけである。零下30~40度、
時には50度をも下回る。大地は凍てつき河も凍りついている。
また一帯は永久凍土地帯でもある。そのため、ゴビ沙漠ではところどころに
オアシス(湧き水)が点在する

白い大地を走る列車










陸路でモンゴルに行くとなるとまずは鉄道である。線路はモンゴルでは
ロシアと同じ広軌で1524mmある。イギリス基準の標準軌1435mmは
各国で採用されているがロシアは当時、ヨーロッパなどからの侵略を
防衛する意味もあり、モンゴル以外ではフィンランドのみで広軌とした経緯がある

台車交換をし走りつづける










シベリアでの鉄道の役割も大きく、スペイン内戦のあと大量の戦車を
日本軍と衝突した、ノモンハンに送り込んでいる。
さて、そのレールのゲージ(幅)であるが、国境で台車を交換する。
各車両は大きな倉庫のような車庫に入れられ4箇所をジャッキアップし
台車を交換するのである。そのため、国境の駅の線路は両方の線路が
敷かれている

ゴビ砂漠に張られる国境の柵






















もうひとつの国境越えは車である。国境の町、二連には北京から
夜行寝台バスで来た。2人が立っているのが国境の柵で、遠くに見える
アーチが中国側の国境事務所(イミグレ)である。
こういった陸路の旅は素晴らしい光景も与えてくれる。雨の北京を出た
列車はモンゴルに入り、ゴビ沙漠の駅、サインシャンダに着いた。
夜明けの太陽が薄れゆく雨雲を鮮やかに染めた・・・

昨夜からの雨が揚がり、朝陽が雲と駅舎を照らす 

 
















 

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広い広いユーラシア大陸に広がる大草原の緑と、大きな大きな宇宙に抜けるような青空。そんな大地を、むかしの人びとはウマで駆け抜けていった。紀元前、黒海周辺に最初の騎馬民族といわれるトルコ系民族スキタイの遊牧国家が誕生する。その後も、ユーラシアには匈奴、突厥といった遊牧騎馬国家が誕生しては滅んでいった。
13世紀にはモンゴル系遊牧国家、モンゴル大帝国がチンギス・ハーンによって誕生する。その大帝国の軍事訓練が始まりといわれている。モンゴルにとって最大の祭典「ナーダム」といわれている。
モンゴル相撲は、大草原が土俵になる。先に相手を倒したほうが勝ちで、技の数も多い。全国から力自慢が集まってくる








当初、この祭典は「エリン・ゴルバン・ナーダム(男の3つの祭典)」といわれ、男の祭典であった。しかし、現在では相撲以外、競馬、弓射には女性も参加する、国民の祭典になっている。
盛夏、大草原の緑が燃え盛る季節。社会主義時代の革命記念日の今日7月11日から3日間で首都ウランバートルをはじめ各県の郡や町や村など、数百ヵ所にもおよぶ会場で、一斉に「ナーダム祭」を行う。まあ独立というか建国は800年前だと最近は記念イベントをやってる・・・

弓射は男は75m、女は60m先の円筒の的を射る。モンゴルの人びとの眼はとてもよい。だから弓射の技術もたかい







世界各国からも、この祭典を見にくるために、中国の北京からモスクワ行きのシベリア鉄道で、北はバイカル湖のあるイルクーツクからの国際列車で、空路はベルリン、モスクワ、また日本の成田を経由してアメリカなど
からウランバートル郊外のチンギスハーン国際空港へ到着する。モンゴル航空のエアバスも満員となる。競技は競馬、モンゴル相撲、弓射の3種目で行われる。

競馬の主役は6歳から12歳の少年少女。競技前、ゴールとなる会場をパレードし、約30キロ彼方のスタート地点まで向かう。モンゴルの子どもたちは、幼い頃に自分の子ウマが与えられ、ウマとともに育つもので・・・
最近は都市部ではウマに乗れないモンゴル人も多いけど・・・
日頃の腕が競われるのだから、親たちも我が子の活躍に歓声をあげる。やがて、地平線から砂煙が見え、蹄の音が響いてくるとゴール近くに集まった観衆たちはどよめき、興奮は絶頂に達する。モンゴル相撲は、大草原が土俵になる。先に相手を倒したほうが勝ちで、技の数も多い。全国から力自慢が集まってくる。
日本でも近年、モンゴル出身力士の活躍が目覚しい。勝者は国民の英雄となる。

地平線から砂煙が見え、蹄の音が響いてくるとゴール近くに集まった観衆たちはどよめき、興奮は絶頂に達する










弓射は男は75m、女は60m先の円筒の的を射る。モンゴルの人びとの眼はとてもよい。だから弓射の技術もたかい,、かつて、草原の戦闘などで使われた技術は競技として残っている。勝者をたたえる歌が大地に響きわたり、、モンゴルの夏、草原の恵みというべき、新鮮なウマのミルクで醸られた「アイラグ」という馬乳酒が振る舞われる。こうしてモンゴル、北の大地の短い夏を人びとは思う存分楽しむのである
 

1991年のソ連崩壊によって独立を果たしたウズベキスタン。
19世紀にロシア帝国に征服され、その後ソ連邦に組み込まれた。
特に13世紀のモンゴル軍による攻撃では壊滅的な打撃をうけた。
モンゴルを長く取材していたわたしにとってなんともいえない思い出の取材
だった。まぁ、日本も元寇、文永の役、弘安の役と二度も襲来に会ってはいる


同じ時期、ヨーロッパではキリスト教の十字軍とイスラム諸国とのあいだで
聖地エルサレムを巡る抗争が激化していた。
イラク戦争やアフガン攻撃ではブッシュ大統領が十字軍発言をして物議を
かもし出している。
グルジアを取材したときもジュワリ峠には十字架がたち、これより異教徒の
土地とあった。カフカスのイスラム諸国のことである。そんな、ヨーロッパの
キリスト教徒にとって救世主の伝説が広がった。

それが、幻の救世主「プレスター・ジョン」である。

十字軍がエジプトを攻撃したとき和解に応じず、幻の救世主の到来を信じ、
無謀な戦いで大敗した。
どうして救世主なのか、当時ヨーロッパに聞こえてきたのは中央アジアの
イスラム国家ホラズム王国のブハラ、サマルカンドといった都市を破壊して
いったことによるといわれる。

プレスタージョン、首都カラコルム、モンゴル軍に攻撃されたグルジアのナリカラ要塞跡

 




















(左)プレスタージョンの肖像画 (右上)モンゴルの首都カラコルム。
銀の木といわれる中心からはワインが湧き出ている。モンゴルの紙幣には
この絵が描かれている
(右下)グルジア、首都トビリシにあるナリカラ要塞跡。13世紀、モンゴル軍
による攻撃を受けた

その後、キリスト教国家グルジアも攻撃を受けるが、カトリックではなく
東方正教だとして無視される。

そう、幻の救世主の正体はモンゴル帝国、チンギスハーンだったのである。
救世主と信じた謎の軍団は十字軍が戦う中東には現れなかったのである。
1241年4月、ポーランドはレグニツァ(ドイツ語でリーグニッツ)の草原・・・
モンゴル軍は東ヨーロッパの都市を破壊しやがて冬、凍結したドナウ河を
渡りハンガリーに攻め込んだ。


(下左)レグニツァの戦いはワールシュタット会戦ともいう。
ポーランド軍のおびただしい戦死者、ワールシュタットは死体の山を意味する
(下左)レグニツァの戦いに臨み戦死したポーランド王国ヘンリク2世

ワールシュタット会戦、レグニツァ.ワールシュタットの戦いに臨み戦死したポーランド王国ヘンリク2世















1245年、カルピニ修道士が当時ヨーロッパでいわれいたタルタル軍
その指揮官バトゥに会いに行く。そこで大ハーンのことを知り、
1年以上かけカラコルムに着いた。
そして初めてモンゴルを知り、大ハーンとの面会を許された。
カルピニはここで驚愕した。ハーンの横につく二人の行政官はなんと
キリスト教徒だった。

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