[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
1991年のソ連崩壊によって独立を果たしたウズベキスタン。
19世紀にロシア帝国に征服され、その後ソ連邦に組み込まれた。
特に13世紀のモンゴル軍による攻撃では壊滅的な打撃をうけた。
モンゴルを長く取材していたわたしにとってなんともいえない思い出の取材
だった。まぁ、日本も元寇、文永の役、弘安の役と二度も襲来に会ってはいる
同じ時期、ヨーロッパではキリスト教の十字軍とイスラム諸国とのあいだで
聖地エルサレムを巡る抗争が激化していた。
イラク戦争やアフガン攻撃ではブッシュ大統領が十字軍発言をして物議を
かもし出している。
グルジアを取材したときもジュワリ峠には十字架がたち、これより異教徒の
土地とあった。カフカスのイスラム諸国のことである。そんな、ヨーロッパの
キリスト教徒にとって救世主の伝説が広がった。
それが、幻の救世主「プレスター・ジョン」である。
十字軍がエジプトを攻撃したとき和解に応じず、幻の救世主の到来を信じ、
無謀な戦いで大敗した。
どうして救世主なのか、当時ヨーロッパに聞こえてきたのは中央アジアの
イスラム国家ホラズム王国のブハラ、サマルカンドといった都市を破壊して
いったことによるといわれる。
(左)プレスタージョンの肖像画 (右上)モンゴルの首都カラコルム。
銀の木といわれる中心からはワインが湧き出ている。モンゴルの紙幣には
この絵が描かれている
(右下)グルジア、首都トビリシにあるナリカラ要塞跡。13世紀、モンゴル軍
による攻撃を受けた
その後、キリスト教国家グルジアも攻撃を受けるが、カトリックではなく
東方正教だとして無視される。
そう、幻の救世主の正体はモンゴル帝国、チンギスハーンだったのである。
救世主と信じた謎の軍団は十字軍が戦う中東には現れなかったのである。
1241年4月、ポーランドはレグニツァ(ドイツ語でリーグニッツ)の草原・・・
モンゴル軍は東ヨーロッパの都市を破壊しやがて冬、凍結したドナウ河を
渡りハンガリーに攻め込んだ。
(下左)レグニツァの戦いはワールシュタット会戦ともいう。
ポーランド軍のおびただしい戦死者、ワールシュタットは死体の山を意味する
(下左)レグニツァの戦いに臨み戦死したポーランド王国ヘンリク2世
1245年、カルピニ修道士が当時ヨーロッパでいわれいたタルタル軍
その指揮官バトゥに会いに行く。そこで大ハーンのことを知り、
1年以上かけカラコルムに着いた。
そして初めてモンゴルを知り、大ハーンとの面会を許された。
カルピニはここで驚愕した。ハーンの横につく二人の行政官はなんと
キリスト教徒だった。
04 | 2025/05 | 06 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
国内では農業をはじめ
産業を撮っています
さまざまな地域を
取材しました
そんな思いを書き込みます