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遊牧民・・・家畜の草を求めて移動をつづけながら生活する。遊牧文化のもっとも
大切なものは搾乳と去勢だといわれるそうだ。太古、野生のヤギやヒツジを、また
ウマやラクダなども捕らえ、オスを去勢することで”むれ”をつくることができた
うひとつは搾乳である。それら家畜にした動物から乳を搾りさまざまに加工する
ことで農耕をしない”民”のビタミン源となる・・・なるほど、そういったことだったの
だ。乳酸菌など微生物がささえる草原のくらしである
モンゴルでは乳製品は60種類ちかくあるといわれる。日本の約4倍の
広さのモンゴルであるしさらにモンゴル文化圏全体だと、名称のちがい
や、製造工程のちがいもあるだろう。ここに記述するものは、わたしが
取材で見て、記録たものです。ご理解いただきたい。また、ご意見が
あればをいただければと思います
乳製品は日本でいう漬物、味噌や醤油のようだと感じる。
漬物でいうと本格的に大根を干して、糠で漬け込んで沢庵をつくるか、キュウリを
塩でころがした浅漬けも、どちらもお新香でつうじる。モンゴルでも困ったのは
一般のモンゴル人でも「アーロール」としてすすめてくれても、いただいたのは
「ハスタンビャスラグ」だったりする・・・
ミルクはモンゴルの五畜である、ウシ、ウマ、ラクダ、ヒツジ、ヤギのそれぞれ
から絞るが、ウマとラクダは馬乳酒といわれるアイラグとなり、これからの
乳製品はウシ、ヒツジ、ヤギのミルクでつくられる
●ウ ル ム
搾乳は1日に2回おこなわれる。絞りたてのミルクはガーゼなどで濾してゴミなど
をとり除き、大きなナベで30分ほど加熱する。その後、15~20分ほど柄杓で
あわ立てて静置する。一晩すると表面に写真のような厚い膜ができあがる
これがウルムである。下の白いものはビャスラグ、軟質のカッテージチーズ
棒などで湯葉のようにすくい、サラにもる。表面は少々パリッとして、内側は濃厚
なクリームでパンにのせて食べると最高の朝食となる
そして、のこったウルムは別の鍋で、焦げないよう1時間ほど熱する。すると黄色
い油が出てくる。シャルトスといい黄色い油の意味で、さまざまな乳製品に混ぜ
いれることなどに使われる。
この行程でのこった”おから”のようなものはツァガントスという。直訳すると
”白い油”だがタンパク質だ。小麦粉を混ぜたりしてハイデマグという食べものになる
下左の写真のパリパリしたもの、右下のレーズンを入れたものもハイデマグだ
砂糖を入れることもある。おもしろいことがある。シルクロード、ウイグルなどでは
ブドウは干して保存食にする。モンゴルにもつたわって、ウゼムという
そして、果実としてのブドウはオッスンウゼムという
意味は”水のブドウ”ということだ
●タ ラ グ
ヨーグルトのことである。ウルムをとったのこりの大量のミルクはボスンスーと
いわれ完全ではない脱脂乳で、モンゴル語では、スーはミルクのことである
大きなナベににのこったミルクが、ある程度冷めてきたら、つくりおきしてあった
タラグをスターターとして混ぜいれる。そのまま室内のベットなどの下などで、
朝まで静置すると大きなナベいっぱいのタラグとなる
みな大好きで、放牧の作業での、お茶などのときに食したりする。ドンブリにいれ
よく食べる最後はペロペロ舐めてきれいにするのが礼儀で、日本ではまぁ・・・
行儀わるいということだが・・・
また、タラグの容器にこびりついた”のこりもの””カス”という意味でホッスムが
あり、子どもたちがよくつまんでいる。下の写真はさらに発酵乳をつぎたす
さらに発酵させ、ホルモグという酸乳にする
●エーツギー
上記のような行程でボスンスー、完全ではない脱脂乳を放置、加熱し水分を
なくしたもの、もしくはこれから出てくる。シミアルヒという酒をつくる行程で
のこったアルツというもなどでエーツギーという硬質のチーズにする
これは酸凝固という現象で、カッテジーチーズとおなじである
ここで、いわゆるホエー、乳清でシャルオス(黄色い水)を取り除かず、天日で
干して乾燥したのがエーツギーで、そのため写真のように黄色く、
また褐色になっている
日本でもそうだが、モンゴル人もそれは食べ物に好みがある。ヘンティ県のダダル
村では盛んにこのエーツギーばかりをつくるお宅をうかがったことがある
●ホリソントス / アルツ
ウルム</B>をタルで秋まで5~6ヶ月発酵保存したもの、また次の項ででる
アルツを、ウシなどの乾燥した胃や腸に詰めて保存する。その熟成した味は
格別なようだ
熟成したアルツはモンゴルの冬の取材中、肉ばかりで便秘になったとき、これを
少量、ナベであたためていただいたことがある強烈な酸味であるが、
効果はてきめんだった・・・
シルクロードの果物には欠かせないのがイチジクだ。日本には1630年に当時の日本の唯一の貿易港、長崎に上陸する。
漢字では「無花果」と書く。原産地は遠くアラビア南部らしい。花がないと書くのはいきなり実をつけるように思われるからで、わたしも不思議に思い調べてみた。
(上)花の見えない無花果、ウズベキスタンの市場のイチジクの砂糖漬け
本来は雄と雌の株があり、雄の花嚢(かのう)のなかにはイチジクコバチという蜂が共生していて種子は幼虫に食べられてしまう。やがて羽化して花粉を持って雌の花嚢(かのう)に受粉して果嚢(かのう)、果実となる・・・しかし、日本ではみな挿し木で雌の株しかないということだ。
ウズベキスタンの市場には砂糖漬けのイチジクが売られていた。葉は当然、イチジクのはである。とてもおいしい!我が家の庭のイチジクにも実がついてきた。
母親はホトン族。父の部族名を名乗るから彼はブリヤートとなる
狩猟関連の仕事だったためモンゴルの西、ホブド県に住んでいたのだ
父親の故郷は北のボルガン県のティシクという町の郊外の草原で
ブリヤート族が多く住む
母親はホブド市郊外の山の上。彼に故郷はと聞くとホブド市の病院と答えた、
なるほど
モンゴル国内を一周する3000kmを越す周回コースを何度回ったか…
ちゃんとした地図がなく遊牧民のゲルを見つけては道を聞いた
聞いているとお茶を飲んでください、と言われなかに、そのうち
料理が出てきて、酒が出てくるシミアルヒといって発酵乳を蒸留して造る
17~18度の透明な酒で程よい酔い心地がいい
結局、そのゲルに泊めてもらうことになる。朝は搾乳からはじまりおかげで
いい写真がたくさん撮れるし、遊牧文化についても学べた
しかし、携帯型のGPSを持っていくようになったり、精密な地図を手に入れて
からは夜、暗くなっても走れるようになり村などに着き、安宿を見つけて泊まり、
食事は安食堂で済ませるようになり目的地には早くたどり着けるが、
途中の楽しみはなくなってきた。特にシミアルヒは売ってはいないので飲めない
ホブドまではゴビ沙漠をすすみアルタイ山脈にそって走るが、3日はかかる
大きな町は舗装道路があるから走っていてガタガタ道がいきなり
舗装になると町が近い証拠だ。
また暗いなか走っているときは地線に町明かりが見えはじめる
やった!思わず声が出る
ソ連の崩壊後、独立した国々でも大きな国家で、国営の航空会社が当時、名古屋からチャーター機を出していた。
(上)中央アジアの女性の化粧である。眉を左右つなげて描く。若者はロシア人もいてその様相はさまざまだ
9時間、西行きは陽が暮れない。着くところはタシュケントである。今回はミュージックフェスタブルなるイベントのプレスで特別扱いだった。しかし、つぎにガイドブックの取材で行かされたときは・・・パキスタン航空のマニラ経由、カラチ行きだった。カラチのシェラトンの冷蔵庫にはノンアルコールのビールしかない。深夜に着いても、早朝5時には空港だ。2時間しか休めなかった!シェラトンで。
(上)ロシア帝国からソ連、また中国の王朝から現代中国によるトルキスタン文化圏である
イスラマバードやラホールなどを経由してやっとタシュケントに着いたが、何と厳しい荷物チェックだ。「何が目的で来た(ロシア語)」「取材やぁ!」「外務省の許可証は!(ロシア語)」「知るかい!」まぁ、いろいろな国で・・・それも旧共産圏で体験しました経験で根性比べになりまして、迎えに来たツーリスト会社のひと、日本いるウズベク人の家族のひとがガラス越しでこちらを見ています。なにやら言ってくれます。やっと、パスポートを渡され開放でした。
(上)強制移住による朝鮮族も4世にわたる。店にはロシア人も多い。問題は言葉でまさしく混在の会話だそうだ
その日は、日本にいるウズベク人の家族の家に招待され、大歓迎!近所にお住まいの朝鮮族の方がキムチなどの料理を振舞っていただき歴史を感じました。ポロフやシャシャリクなどもおいしかったですね。
アルメニアの首都イェレバン郊外の村で農業を営むアグバンさん。
聖山アララト山の麓だが、山の手前にトルコとの国境がその手前にある。
カフカス地方は葡萄栽培の発祥の地といわれ、ワインや蒸留して
極上のコニャークを生み出す
(上)イェレバンのホテルのバー、誇らしげにアルメニアコニャークを掲げる
イギリスの首相だったチャーチルも絶賛したという。
(中)シャシリク、串焼き肉だ。やはりカフカス地方からユーラシアに広がる
トルコではカバブ、串焼きはシシュケバブ。それに対してドネルケバブがある
(左)グルジアの郷土料理、ヒンカリ。何のことない水餃子だ
食べ方はモンゴルと同じで肉汁をすすりながらかぶりつく
シルクロードの食文化交流か・・・
(右)やはり葡萄だ。葡萄の皮を原料とした蒸留酒チャチャ。40度以上はある
また、葡萄の産地ならではの種を圧搾したグレープシードオイルもある
食物繊維やビタミEも豊富で、コレストロールもゼロということもあり、
注目されている
考古学博物館の古代の家屋にある葡萄酒をつくるための木枠。
ここに収穫した葡萄を入れ、家族みんなで踏み、その果汁が地中の壷の穴の中
にはいっていく (右)再現された地中の壷である
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国内では農業をはじめ
産業を撮っています
さまざまな地域を
取材しました
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